
「茶色の刑務所用シャツとズボンを着たコムズが法廷に入った。かつて漆黒だった彼の髪は、白みがかった灰色に変わっていた。髭も同様だった。弁護団は彼の釈放を主張したが、裁判所はこれを認めなかった。彼は再び、ブルックリンのメトロポリタン拘置所に移送され、収監番号37452-054が割り当てられた。」
14日、「パフ・ダディ」の名で知られる米東部ヒップホップ界の巨匠ショーン・ディディ・コムズ(56)がマンハッタン連邦裁判所に出廷した様子を、ニューヨーク・タイムズ(NYT)は上記の通り描写した。彼は昨年9月、売春や恐喝共謀などの容疑で起訴された。コムズは、ヒップホップ界での絶大な影響力を利用し、女性たちに夜の営みを強要した疑いがもたれている。昨年発覚したいわゆる「ディディ・ゲート」スキャンダルでは、コムズが麻薬と夜の営みのパーティーを開き、性別を問わず性的搾取を行ったとされる他、有名ラッパーのトゥパック・シャカー氏(1971~1996)の殺害を依頼したという疑惑も浮上した。
コムズが起訴された容疑は、最低15年から終身刑まで科される重罪だ。かつては世界のヒップホップ界を牽引していたが、今や鉄格子の中の身となった。生まれ育った華やかなニューヨークの街並みを眺められる時間も、拘置所から裁判所への往復のわずか数十分に限られている。収監前に住んでいた600万ドル(約8億5,410万円)超のカリフォルニアの邸宅は、今や遠い記憶となった。1,200人の受刑者と共に、1990年代初頭に建てられた古びた監房で過ごさねばならない。NYTは15日、「刑務所生活は、彼がかつて享受していた専属シェフ付きの豪邸とは雲泥の差がある」と報じた。
コムズは、拘置所4階にある寮形式の「4ノース(North)」区画で、約20人の男性と共同生活を送っている。この区画には、暗号資産取引所FTXの共同創業者であるサム・バンクマン・フリード氏や、元ホンジュラス大統領のフアン・オルランド・エルナンデス氏など、複数の著名人も収監されたことがある。二段ベッドが何列も並び、テレビや電子レンジなどの設備はあるものの、施設は非常に老朽化している。2019年に電気火災が発生した際は、真冬に暖房が機能しないほどだった。ある弁護士はその場所について「放置された連邦拘置所で、地獄そのものだ」と語る。AP通信は「受刑者たちは、蔓延する暴力、劣悪な環境、深刻な人員不足、麻薬などの密輸について長年にわたり不満を訴えてきた」と報じている。
1993年に、バッド・ボーイ・レコードというレーベルを設立し音楽界に足を踏み入れたコムズは、作詞作曲からプロデュースまでこなす多才なミュージシャンだ。マライア・キャリーやノトーリアス・B.I.G.、ボーイズIIメンなど、ヒップホップやR&B界の有望アーティストや大物との共演を重ねてきた。親友だったB.I.G.が1997年に銃撃で死亡した際、コムズが制作した追悼曲「アイル・ビー・ミッシング・ユー(I’ll Be Missing You)」は世界的な大ヒットとなり、日本でも広く知られるようになった。この曲は、米ビルボードのホット100チャートで11週連続1位を記録した。1999年には、当時の恋人であった女優兼歌手のジェニファー・ロペスとともに、ニューヨークのナイトクラブでの銃撃事件に巻き込まれ起訴されたが、主要容疑では無罪判決を受けている。
実業家としても成功を収めた。1998年に立ち上げた衣料品ブランド「ショーン・ジョン」は大ヒットを記録。音楽制作とビジネスの両面で成功を収め、2014年と2017年には、経済誌フォーブスが選ぶヒップホップ長者番付で1位に輝いた。2008年には、ヒップホップアーティストとして初めてハリウッドの「ウォーク・オブ・フェーム」に名を刻んだ。NYTは「コムズは自身の帝国を築き上げた」と評している。
こうした華やかな生活の裏で犯していた「暗い」犯罪が明るみに出て、コムズはスターから犯罪者へと一気に転落した。彼から性的被害を受けたと主張する男女は、現在120人を超える。被害者側の弁護士らによると、コムズによる被害の申し立ては米国全土で3,000件以上に上るという。さらに、9歳の未成年者もコムズから被害を受けたと主張している。一部では「音楽史上最悪の犯罪者」との声さえ上がっている。
現在のコムズの生活は一般の受刑者と変わらない。午前7時に共用スペースのテーブルで他の受刑者たちと共に食事を取る。拘置所では、毎月第2金曜日に、ベジタリアン向けのラザニアかパスタ・エ・ファジョーリ(イタリア風豆のスープパスタ)、ほうれん草、サラダが提供される。売店では、スニッカーズチョコレート6個入りパックが5.95ドル(約847円)で購入できる。大金持ちであるコムズが2週間で使える金額は、最大でも180ドル(約2万5,622円)のみとなる。