■ この男のクラシック‐ベートーヴェン「エグモント」序曲
闘争と勝利の叙事的な表現
ベートーヴェン特有の緊張と凝縮
強烈なカタルシスに満ちて
広義には現在の映画音楽とも
1809年、ベートーヴェンはウィーンのブルク劇場から劇中音楽の作曲を依頼される。劇中音楽とは、劇の効果を高めるための音楽で、広義には現在の映画音楽と言える。読書狂であり、ゲーテの熱狂的なファンでもあったベートーヴェンは、この提案を快く受け入れた。
既にゲーテの詩に音楽をつけて歌曲を作曲していたベートーヴェンだったが、「エグモント」の依頼は彼の心を揺さぶるに十分だった。なぜなら、ゲーテが12年間かけて完成させた五幕の悲劇的な劇「エグモント」は、闘争の末に処刑台の露となって消えていった愛国心に満ちた英雄の物語で、ベートーヴェンが最も好む音楽的な叙事、「苦悩を超えて歓喜へ(Durch leiden zur freude)」、さらには闘争と勝利の音楽的文法を表現するのに理想的な作品だったからだ。
ゲーテが書いた「エグモント」は、オランダ生まれのエグモント伯爵(Lamoral, Count of Egmont 1522∼1568)が主人公だ。オランダを率いていたエグモントは、スペインの圧制に抵抗するが、アルバ公爵に逮捕され、死刑を宣告される。彼の恋人であるクレールヘンは、エグモントを救おうと全力を尽くすが、成功できず最終的には毒を飲んで自らの命を絶つ。エグモントも処刑台の露となって消える直前、断頭台の前のエグモントは深い眠気と共に幻を見る。それは先にこの世を去った彼の恋人クレールヘンだった。彼女はエグモントの生涯と闘争、そして正義なる死を祝福する。幻から目が覚めたエグモントは、死が決して悲しい終わりではなく、正義に達した貴重な勝利と自由であることを悟り、堂々と死を迎えるという内容だ。
1809年、受諾と共にすぐに作業に取り掛かったベートーヴェンは、序曲、クレールヘンの歌、間奏曲、終曲の勝利の交響曲など、合計10曲を1810年5月に完成させる。作品は、一人の英雄を象徴する重厚な序曲から始まり、彼の生涯と闘争を描写し、断頭台に立ったときに演奏される終曲、「勝利の交響曲」まで、ベートーヴェン特有の緊張と凝縮、強烈に爆発するカタルシスに満ちている。
ベートーヴェンは1810年8月21日、友人に送った手紙の中で、「私は尊敬するゲーテ先生に対する敬意から『エグモント』を作曲しました」と明言したが、実際にはゲーテとは会ったことはなかった。1812年7月、現在のチェコ地方であるオーストリアの温泉都市テプリツェで、ドイツを代表する二人の巨匠はついに初めて出会う。当時、ベートーヴェンは42歳、ゲーテは彼より21歳年上の63歳だった。二人はそこに一週間滞在し、詩と音楽について話し合い、一緒に演奏し、時には静かな散歩を楽しんだ。
ある日、二人は散歩中に向かいから王族が近づいてくるのを目撃する。すると、ゲーテはすぐに道をどけ、深くお辞儀をして王族に敬意を表したが、ベートーヴェンは王族に対する敬意どころか、むしろ背中を向けて堂々と自分の道を急いだ。この日の出来事で、二人が一緒に時間を過ごすことは二度となかった。ゲーテはベートーヴェンの社交性の欠如と敬意の欠如に困惑し、ベートーヴェンは自分の目に「飼い慣らされた芸術家」のように映ったゲーテに深い失望感を感じたのだ。
■ 今日のおすすめ曲 – 「エグモント」序曲、Op.84
1809年作曲を開始し、1810年5月に完成、同年6月にオーストリア・ウィーンで初演された。ベートーヴェンの中期をかざる最後の傑作であり、ベートーヴェンを代表する強烈な印象の序曲作品である。英雄の登場を象徴するように「ファ」の音を長く演奏して始まる序奏部は、重厚ささえ感じさせる。その後、苦難を思わせる木管楽器の悲しい旋律が続くが、音楽はすぐに活気を取り戻し、勝利と喜びへと進んでいく。