「避けられないなら楽しめ」という言葉が、今日の若者の間で語られることがある。一見すると前向きに聞こえる言葉だが、実はどれほど危険な意味を内包しているのかを改めて考えるべきだ。
20代前半、軍入隊を控えた時に初めてこの言葉を耳にしたのを思い出す。当時は「避けられない現実をただ受け入れる」という意味として受け取った。しかし、年月が経つにつれて気づいたのは、この言葉の本当の問題は「避けられない」という前提をあまりにも簡単に受け入れてしまう点にあるということだ。
就職難に直面している現代の若者たちの間にも、同じような諦めの雰囲気を感じる。「どうせ就職は難しい」、「運がよければ採用される」といった自嘲的な声が聞こえる。そんな彼らに「楽しめ」というアドバイスは、事実上「諦めろ」という言葉と何ら変わらない。
しかし、私たちには他の選択肢がある。99%が絶望であっても、残り1%の希望という可能性に向かって走ること。それこそが「切実さ」だ。切実さとは単なる願望ではない。それは、不可能に見える現実に立ち向かう積極的な態度であり、未来を変えるための具体的な行動だ。
もちろん、すべてを変えることはできない。人生には避けられない瞬間もある。しかし、それが今日の就活生が直面している現実にまで当てはまるとは言い切れない。小さな可能性でも存在するなら、それに向かって全力を尽くすべきだ。
「避けられないなら楽しめ」ではなく、「避けられる可能性が1%でもあるなら、それに全力を注げ」。これこそが、現代の若者に必要なメッセージだ。絶望的な現実に安住するのではなく、それを変えるために挑戦しろという呼びかけだ。
切実さは単なる感情ではない。それは私たちを動かす原動力であり、不可能を可能にする力だ。就活生に本当に必要なのは、現実から逃げたり無力感に陥ることではなく、この切実さだ。
もちろん、切実さだけですべてが解決するわけではない。しかし、それなしでは何も始まらないのも事実だ。今日も多くの若者が就職という壁の前で挫折している。彼らに必要なのは「楽しめ」という慰めではなく、「挑戦しろ」という励ましだ。切実さこそが、この時代が若者に送るべき真のメッセージである。