①航空会社のオーバーブッキングの理由は?
海外旅行の需要が増加する時期には、空港で航空会社と乗客の間のもめごとが起こるのを目撃される時もよくある。
これはほぼオーバーブッキングのせいだ。オーバーブッキングとは、言葉通りに飛行機の搭乗定員よりも多くの乗客が予約されたことを意味する。
では、航空会社はなぜオーバーブッキングをするのか?航空会社は空席があると損になるので、搭乗予約をキャンセルしてしまうノーショウ乗客を考慮して定員を超える座席を販売しているためだ。
もしオーバーブッキングが発生した場合、チェックインカウンターでまたは搭乗待ちのお客様の中から、搭乗拒否規定に従って一定の補償を受けて自ら当便を放棄する乗客を探すことになる。
しかし、乗客の中から誰も放棄しない場合、航空会社は独自の基準に従って搭乗を拒否した乗客を選別することになる。
航空会社側ではそれぞれの規定が異なるが、高齢者、幼児など移動が不便な人や同伴乗客を最優先に搭乗させる。
明らかに正常に予約し購入した航空券を持っているにもかかわらず、座席がないと言うことを理由として搭乗させない場合、出張または旅行に行く方々としては普通困る。
では、最悪のこのオーバーブッキング事例はどのようなものがあるのか。
②ユナイテッド航空、最悪のオーバーブッキング事件
最も有名な事例は2017年にアメリカのユナイテッド航空で起きたオーバーブッキング事件。
当時シカゴからケンタッキーへ向かうユナイテッド航空3411便で起きた出来事だった。この事件は世界中に知れ渡り、多くの人々が怒った。
航空会社がオーバーブッキングを受けて置いた状態で、従業員を搭乗させなければならなかったが、あらゆる条件と補償金を提示しても応募者が出ないため、コンピューター抽選で4人をランダムに選んだ。
4人の中にはベトナム系アメリカ人の医師デイビッド・ダオも含まれており、彼は自分は医師であり、翌日の予約患者がいると言って降りることを拒否した。
すると、セキュリティーガードたちは彼を強制的に引っ張り出し、床に引きずり出して降ろした。
この過程で乗客の鼻と歯が折れ、脳震盪の判定を受けるなど大怪我をし、世界中の非難を浴びた。
デイビッド・ダオは2年後、アメリカのABCニュース番組『グッドモーニングアメリカ』に出演し、当時の状況について打ち明けた。
彼は「事件数ヶ月後でも事件ビデオを見るのは難しかった。ただ涙が出た」と語った。
続けて「正直言って、機内から引っ張り出された後、何が起こったのか分からない。後で病院で起きた。最初の数ヶ月はひどかった」と話した。
さらにデイビッド・ダオは、当時のショックで医師の仕事を辞め、不眠症に悩んでいると話し、同情を呼び起こした。
事件後、ユナイテッド航空側は最高経営責任者が直接謝罪し、デイビッド・ダオを強制的に引っ張り出したセキュリティーガードを解雇した。
デイビッド・ダオは弁護士を組織し、法的対応に乗り出し、ユナイテッド航空側と合意して事件を終結させた。
③深刻なオーバーブッキング事例
アメリカのデルタ航空の客室乗務員が2歳の息子を持つ夫婦を追い出した事件もある。
この夫婦は子供のために別の座席を購入し、カーシートを取り付けて座らせた。
この時、客室乗務員が近づいて2歳以下の幼児は座席に一人で座ることはできず、膝の上に座らなければならないと言い、そうしたくない場合は降りるしかないと言ったそうだ。
夫婦がこれを拒否すると、飛行機から降りなければ家族全員が刑務所に行くと脅迫した。
長い闘争の末、夫婦は結局降りたが、客室乗務員が言及した規定は事実ではなかった。
当時の該当便はすでにオーバーブッキングされており、彼らが降りるとすぐに待機客がその場に搭乗した。
7ヶ月間待ち続けた家族旅行の前日、10歳の少年がエア・カナダの飛行機に搭乗できない乗客に選定された事件もあった。
これもオーバーブッキングが原因だった。少年だけを除いて旅行に行けなかった家族は結局該当便を諦め、旅行の予定をすべて延期するしかなかった。
こうした最悪のオーバーブッキング事例が続く中、これに対する問題意識が生まれ、日常的にオーバーブッキングを受けてきた航空業界の慣行にも変化の兆しが見られている。
アメリカのサウスウエスト航空は2017年4月、乗客の強制退去事件を引き起こしたオーバーブッキングシステムを廃止することを決定した。
問題となったユナイテッド航空とデルタ航空は自発的に降りた乗客に最高1万ドルまでの補償をする意向を表明した。
航空会社のオーバーブッキングは思ったより頻繁に起こる。販売できる座席よりも多くの予約を受けることは明らかに非倫理的だ。
しかし、ノーショウという状況を考慮すると、現実的に航空会社には避けられない選択肢でもある。
出張または旅行途中でこのような状況に直面した場合、どうしたらいいのかを事前に知っておくことが良いのであろう。