シリアのアサド政権の崩壊をきっかけに、シリアとイスラエルの国境地帯にあり、イスラエルが実効支配するゴラン高原が再びシリアに戻ってくるのではという住民たちの期待に反し、イスラエルはゴラン高原を中心としたシリアとの隣接地域や緩衝地帯に部隊を配備した。
8日(現地時間)「AFP通信」や「AP通信」は、アサド政権崩壊のニュースが報じられると、ゴラン高原に位置するイスラエル占領地とシリア政府支配下の兵力分離地帯に分断された村として知られるマジュダル・シャムス村では、住民たちの歓声が沸き起こったと伝えた。
AFP通信によると、この地に住むイスラム教少数派ドゥルーズ派のシリア人たちはアサド政権が崩壊し、新政府が樹立されれば、ゴラン高原にもついに平和が訪れるだろうと感激の涙を流したという。
イスラエルとシリアの国境地帯にあり、軍事的要衝であるゴラン高原は、第三次中東戦争が勃発した1967年以降、イスラエルがゴラン高原の大部分を占領開始し、1973年に再び第四次中東戦争が勃発した際には、この地域に緩衝地帯が設けられた。
しかし、1981年にイスラエルが一方的に併合を宣言して、現在も実効支配を続けている。
だが、アメリカをはじめとする国際社会はゴラン高原はシリア領という認識を持っている。
そして、そのような状況でもなお、イスラエルはゴラン高原にイスラエル人の入植を進めるなど、支配力の強化を図ってきたのだ。
ゴラン高原のドゥルーズ派住民の一部は、イスラエルの占領開始から半世紀以上が経過した今もイスラエル市民権の取得を拒否し、シリア人であるという誇りを持ってきた。
住民からはアサド政権崩壊を契機にゴラン高原がイスラエルの支配から解放され、再びシリアに戻ることを望むという声があがっている。
現地に住むナスララさん(57)はAP通信に対し、「私たちは今、ゴラン高原がシリアに戻ることを心から願っている。生まれてからずっと、希望を持って待ち続けてきた」と語った。
しかし、イスラエルがゴラン高原から撤退する可能性は低いとみられている。
ネタニヤフ首相はアサド政権崩壊直後、ゴラン高原の占領地を訪れ、「イランの『悪の枢軸』の中心にあったアサド政権が崩壊した」とし、「中東にとって歴史的な日だ」と述べた。
さらに「昨日、我が軍に(シリア国境の)隣接地域や緩衝地帯に部隊を配備するよう指示した」とし、「いかなる敵対勢力もイスラエルに流入せぬよう、イスラエル市民とゴラン高原の地域社会の安全を確保するためだ」と配備の理由を強調した。
実際、イスラエルの戦車と装甲車はこの日、すでにゴラン高原に到着している。
一方、ゴラン高原はイスラエル北部の戦略的要衝であり、イスラエルの水資源の大部分を供給する重要な水源地でもある。