11.6 C
Tokyo
2024年11月23日土曜日
ホームタグ世紀の裁判

タグ : 世紀の裁判

「世紀の裁判」の主役、がん闘病の末に死亡

前妻を殺害した容疑で起訴されていたアメリカンフットボールの元スター選手、O. J. シンプソンが亡くなった。シンプソンの弁護士は11日(日本時間)、彼が前日ラスベガスで死亡したとを伝えた。 CNNなどアメリカのメディアはこの日、シンプソンの死亡を伝えた。シンプソンの家族も同日SNSを通じて「(シンプソンが)ガン闘病の末、息を引き取った」と知らせた。 シンプソンは「世紀の裁判」(1994年に彼が前妻とその友人を殺害した容疑で裁判が開かれた際、全米で有名な弁護士・検察官が出揃ったためそう呼ばれた)の当事者だった。彼はアメリカンフットボール選手として大きな人気を博した。1969年から1979年までNFL(National Football League:米国のプロアメリカンフットボールリーグ)のバッファロー・ビルズとサンフランシスコ・フォーティナイナーズでプレーした。 1973年にランニングバック(アメリカンフットボールの攻撃側のポジション)としてはNFL初の2000ヤード(1.8288㎞)を突破するなど選手として活躍した。シンプソンは引退後、俳優やスポーツキャスターとして活動し、人気と名声を維持した。 しかし1994年、前妻のニコール・ブラウンと彼女の恋人ロナルド・ゴールドマンを殺害した容疑で起訴された。当時、シンプソンの裁判は多くの注目を集めた。 彼は長い裁判の末に無罪を受けたが、事件は未解決のままだった。シンプソンは当時の裁判過程で人種差別、家庭内暴力まで議論が広がり、話題の人物となった。 シンプソンは事件発生5日後、警察が殺人容疑で逮捕に踏み切った際、友人が運転する車の後部座席で拳銃を持ち脅迫する姿がそのままTV放送に出たことで名誉が急落した。シンプソンは裁判を受け、その過程で出た様々な証拠により有罪となる可能性が高かった。 しかしシンプソンと弁護士は人種差別を訴え、11ヶ月かけた裁判の末、1995年10月に陪審員の判決で無罪となった。彼は刑事裁判では疑いを晴らしたが、1997年の民事裁判では陪審員団がシンプソンの責任を認め、3350万ドル(約45.9億円)を遺族たちへ賠償するよう彼に命じた。 シンプソンはその後、2007年9月にラスベガスのカジノで銃を突きつけて物を盗んだ容疑で逮捕された。2008年に強盗罪などで起訴され、最高33年の懲役刑を受けたが、刑務所で服役中だった2017年に仮釈放された。 シンプソンには初妻マーガレット・ウィットリーとの間に生まれた2人の子供と、ブラウンとの間に生まれた2人の子供、合計4人の子供がいる。シンプソンはウィットリーと1967年に結婚し、1979年に離婚した。ブラウンとは1985年に結婚し、1992年に別れた。

読まれています