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2024年12月23日月曜日
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「韓国人の心の中で生きる」植民地時代にも日韓関係の協調に尽くした浅川巧を両国が追悼

朝鮮の半島の緑化活動と文化保存に貢献し、両国から尊敬を集める日本人 日本統治時代の朝鮮の半島の緑化活動と文化保存に貢献した日本人の陶芸研究家、浅川巧(1891~1931年没)の93周忌を迎え、日韓両国の人々が集まった。 兄の浅川伯教、そして弟の巧の追悼会は、2日、ソウル市中浪区(チュンラン区)にある浅川巧の墓で「浅川巧93周忌追悼式」を開催した。 この日のイベントには、キム・ジョンギュ文化遺産国民信託理事長、シン・ボンギル韓国外交協会会長、チョン・ジェソク元文化財庁長官、川瀬和宏在韓日本大使館広報文化センター長など20名余りが参加した。 彼らは追悼歌を歌い、兄の伯教が弟のために残した追悼詩を朗読し、巧を偲んだ。 浅川巧は1931年4月2日、40歳で世を去った親韓派の代表的な人物とされている。 日本統治時代、兄の伯教とともに朝鮮で生活し、陶磁器をはじめとする民芸品を研究し保存に努めた。朝鮮総督府林業研究所で働きながら、「落葉松(五葉松)の露天埋蔵法」を開発するなど、森林保護や韓国の緑化推進にも尽力した。 巧の墓には、「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中で生きていた日本人、ここで韓国の土になった」という文章が記された墓石が立てられている。 巧の生涯は2012年公開の映画『道〜白磁の人〜』に描かれている。 追悼会会長のイ・ドンシクは「私たちが浅川巧を尊敬し、思慕し、追悼するのは、私たちが困難なときに彼が多くの思いやりで、心を伝えてくれたからだ」と述べ、「思いをともにする日韓の国民が集まり、一緒に彼を追悼する心を重ね合わせるのが、巧と兄の伯教が願った理想郷ではないかと思う」と語った。 また、「日韓の友が出会った場所がもっと広く知られ、海を越えてこの心を共有する人々がもっと増えることを願う」と述べた。 川瀬広報文化センター長は「浅川巧の一生を辿ると、韓国の人々とその民族文化に敬意を持つことが、当時の両国関係の中でどれほどの勇気を必要とし、困難だったかを理解する」と追悼した。 また、「韓国と日本の多くの若者が音楽やドラマ、映画など同じものを見聞きして、泣き、笑うという感情をともにし、同じ食べ物に舌鼓を打つ場面を見たら、浅川巧はどれだけ喜ぶだろうか」と話し、「日韓政府間の関係には山も谷もあるだろうが、これから一層改善されることを願わずにはいられない」との希望を述べた。

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